縁あって平成の花咲爺と称される 竹田和平さんのまろわ問答講(メーリングリスト)に参加。
度々名古屋に出向き、和平さんのコアな会に参加させていただく。
仲間と共に「ありがとうカウンター」で1万回ごとに叶った奇跡を記録。
私の13万回目の奇跡は、2011年1月16日に和平さんの1日1言ブログでたんぽぽの小冊子を紹介していただいたこと。
本当に嬉しかったです。
もう一つ縁あってウーマンドリプラに参加。
夢がないのにプレゼンターとして立つことになって、みんなの協力で絞り出した夢。
ウーマンドリプラでプレゼンした「たんぽぽハウス〜笑顔の発信基地〜」
『ここにくれば笑顔になれる、笑顔になってまたそれぞれの場所で花を咲かせよう』
まろわ問答講仲間の協力で実現。
たくさんの方の支援を受けて、2011年に大阪高槻市に基地完成。
本当にたくさんの方が来てくださり、基地が活性して、元のオーナーが元気を取り戻し、お商売を復活されることになり撤退。
「ふみちゃん、変な責任感は誰も幸せにしないよ」との言葉に救われる。
高槻を撤退した後、地元でチェロコンサートを主催させていただいたのを最後に燃え尽き症候群のような気持ちになってしまった。
私の父は予科練の時に終戦を迎えたようです。
父親は早くに亡くなっていて、頼りにしていたお兄さんが戦死して、戦後、今治にあった家が火事になり、
倉敷に嫁いでいた姉を頼って、祖母と二人、リヤカーで来たと言ってました。
紳士服の仕立て職人としての腕を磨き、岡山天満屋のオーダーメイドを請け負っていました。
残り布で作った鍋敷きを世界一高級な鍋敷きだと笑っていました。
電化製品も家も車なども、自分でメンテナンスをするとても器用な人でした。
母は、おばあちゃんとの折り合いが悪く、いつも喧嘩していました。
私と姉は「また始まった」と避けていて、二人とも母のことが大嫌いだったようです。
私が中2の時に、自宅で祖母を看取ってから、
近所に新設された特別養護老人ホームのボランティアで、洗濯場・掃除場を経て、寮母(介護士)になってと頼まれて、私が高校生の時=母45歳から結局70歳まで働きました。
最初の2年間に、3人ほどの先輩の相当ないじめに遭ったようで、とても苦しみながらも、家に帰ったら全ての愚痴を父に 話して 話して… ある時、吹っ切れるように開き直れたそうです。
どうせ否定されるなら、否定されるままにできることをやろうと。
「あの時お父さんが、一言でも”やめろ”って言っていたら、絶対に続かなかったと言ってました。
このことがきっかけで、おばあちゃんとの関係も、お互いの物事の伝え方が歪んでいたからだと気づいたそうです。
思い起こすと、父は誰も否定しませんでした。
私が悪いことをしても、自分が気づくまで黙って尻拭いをしてくれていたようです。
晩年、どんなきっかけだったかは忘れたけど、私がした質問に「来世は野良犬になりたい」と言いました。
母の最期の時期、自分の母親との思い出や、おばあちゃん(姑)とのこと、そして
父とのことをいっぱいいっぱい聴きました。
父がどれだけ母を愛してきたか、そして私たちをどれだけ尊重してきたのかを痛感したのでありました。
実は、後々気づいたのだけれど、私の結婚は、実の両親を否定しての結婚でした。
職人という仕事には休みがありません。家族旅行は町内会のバスツアーか、今治へのお墓参りのみ。
父は本当に仕事人間で、
私は、いつも目の前にいるのに、全く構ってもらえず、寂しかったようです。
定時があり・土日が休みのサラリーマンに憧れていたようです。
9歳年上の夫は同じ会社の先輩で、とても優しくて頼もしい人でした。
夢見る夢子ちゃんの私は、勝手に自分の理想像を掲げて20歳で結婚したのでありました。
が… 私の夢は結構早々に破れ^^;
嫁姑問題勃発・夫は忙しくて家に居ず、土日も居ず、ザ・マイペース。
実はネットワークビジネスに出会った頃の私は、口を開けば誰かの悪口&自分が全くない人でした。
「あなたはどうしたいの?」を10年ぐらい聴き続けてくれた先輩:逃げ続けた私。
日本人の80%が「こんなはずじゃなかったと終わる」を知りながらも、ひたすら現実逃避をしていました。
ビジネスを頑張る中でも、思うように言葉が出ない私は、うまく伝えることができず…
唯一の手段が、10年以上書き続けたニュースレターで、「情報と思い」まとめること・伝えることの訓練になりました。
ある程度のタイトルを達成した直後に、一番信頼していた人が兄弟系列に移動するという、ショックを機に動けなくなりました。
そして次女が壊れた!
今、この時のことを私なりの宇宙語で分析すると…
闇雲に作り上げようとしていたジグソーパズルをバラバラにして箱に戻した感じ。
次女の言葉をきっかけに、まずは私の悪かったところ探しから始まりました。
それは、結果的には、自分の”都合”で自分の両親を否定していたところに到達しました。
実は、白草家は真逆のタイプで、必要以上に介入されることに対して、大反発^^;
私にとっての結婚は、生まれ育った環境に、感謝するための経験だったように感じています。
子供の頃に寂しかったのは、両親が構ってくれなかったからだけど、実はその恩恵は自律心でした。
あえて「自律心」 自立心ではないのがポイントです。
実は自立しようとして「お母さん辞めます宣言」をしたのだけれど、どこへ行っても誰かに守ってもらえ、
結局自立(独立)はできずで、孫に連れて帰られました 笑
私のエゴは、一人で生きようとすること・独立することだったのです。 独立は孤立でした。
どんなに合わない人とでも(家族であっても)、『共に何かをする必要があるならば』…
まずは自分自身がどうしたいか
目の前の人たちは何を意図しているか
そして、今この場にどんなことが実現できると嬉しいか
三つの要素の調和があってこそだと感じています。
おかげさまで、夫とも義母とも とても仲良くできています!
色々あったことが すべて宝物に変身しています♡
めっちゃ長くなりましたが、今に至る59年のプロセスを書きました。
2022年8月
倉敷の実家 片付きました。
さぁ これから☆ 楽しみです♡
そして。。。
2023年6月
急きょ手放すことになりました。
ここからは
新たな展開 たんぽぽハウス 〜笑顔の発信基地〜 in 淡路島 に向けて
準備中です!
たんぽぽハウス 〜笑顔の発信基地〜 については こちらから